2005年に、いまだかつてない公共の施設での麻雀教室を立ち上げました。
それまであったいわゆる健康麻雀を発展させたものでした。麻雀本来の楽
しさを、コミュニケーションの道具とし、ワークショップ形式で、勝った負けた
だけではない新しい価値を生み出そうとしています。
ここまで継続し、たくさんの方に来ていただいているのは、参加者のみなさ
んの深い理解と支えてくれるみなさんのおかげだと思っています。元気が
出る麻雀教室の参加者のみなさんは本当にどういうわけか、すばらしい方
ばかりなのです。共に笑いあい、ときに励まして、そして頼りない僕を支え
てくれます。この会のなかで一番頼りのない僕をリーダーとして認め、時に
失礼なこと言ったとしても、長年生きてきた大人としてそれを戒め、あるい
は許容してくださったおかげで今があります。
これは、地録組織や官僚的組織、あるいは企業などではとてもできること
はないでしょう。僕はこの5年半、冒険をしてきたのです。お金も経験も人脈
もないところから。そして、僕の経験で言わせてもらうと、社会は冒険する者
を待っているのです。歓迎する用意はすでにできているのです。そのことを
若い人には伝えたいと思っています。
そして、5年半が過ぎて、ひとつだけ心に刻んでおきたい僕の失敗を誰もが
見える形で記しておきたいと思います。
ある日のことでした。麻雀教室に見学したいという方が来られました。その方
は前にも何度か来られた方で、よかったらやってみませんか?とお誘いして
もいやいや見学で結構ですという方でした。なんどもこられるので、見学者用
の名前と住所と電話番号を記す用紙をお渡しして書いてもらいました。すると
その方が書いたのは、住所と電話番号がひと目でわかるでたらめなものでし
た。少しお話させてもらえませんか?とお願いして、お部屋の外のソファーに
座って、どうして何度も見学に来られるのかを、お訊ねしました。すると、その
男性は、会に入りたいとおっしゃいました。住所と電話番号が違うのでは?と
問うと、いやそんなことはありませんと答えるので、仕方なくその場で携帯電
話でその電話番号にかけてつながらないことを証明し、このようなことでは入
会していただけませんとお断りしました。
何年かがたち、そこの生涯学習センターで精神障害施設の各グループが授産
品の販売に来ていました。クッキーなどのお菓子や布でできた何かや石鹸など
を販売していました。そして、あるグループの中に、あの時の男性がいたのです。
その時僕は、那珂川町の猿に大きなハンマーでおもいっきり殴られたような衝撃
を受けました。そうかそういうことだったのかと。僕はショックを受けました。
世の中には目に見えないものがあります。僕は気づくことができませんでした。
あの時、僕の対応はあれで良かったのか?いやいいはずがない。観察がたりな
かった。住所や電話番号が書けなかったのなら、どうして書かないのか想像する
力がなかった。要するに僕はやさしくありませんでした。
よく相手を観察し想像して許容する力がなかったのです。
ある日突然、僕の目の前に、何かを求める者が現われて、その者に僕が、どのよう
に対応するかで、僕の人間としての価値が問われているような気がします。もっと
やさしい男に僕はなりたいのです。
麻雀教室はたくさんの方で賑わうようになりました。これは本当にすごいことだと
自分でも思っています。ただし、上記のような大きな失敗もしていることを僕の心
に刻んでおかなくてはなりません。
そして、僕の冒険は続きます。