こんなに不本意で残念な自分と出会うことはなかなかない。
そして、マラソンというものは、それと出会った僕が次にどうするのかじっと見ている。
12月19日(日) 防府読売マラソン
37キロ地点 棄権
30キロまではそこそこ調子よくいけたのですが、35キロくらいでフラフラになりました。
残念です。まさか自分が棄権するとはおもってもみませんでした。
北海道マラソンのようにどのような状態になったとしても必ず最後まで行く覚悟はありました。
35キロまでは、おそらくこの前の下関海響マラソンのときよりも早いペースで来ていたとお
もいます。それだけに、悔しいです。なぜ、フラフラになったのか?貧血かもしれません。脱水
ではないと思います。もしかしたら、4日前にお腹をこわして下痢になったのですが、そういった
ものと関係があるかもしれません。どのようような理由にせよ今回は42,195キロを走りきる力
がありませんでした。
37キロ地点で、歩きだし、立ち止り、歩道にひっくり返りました。10分ほど休めば再び走り出せ
たかもしれませんが、無理はしませんでした。明日も仕事がありますし。すべてを出し切るわけ
にはいきません。
歩道に仰向けになり、空の青さを眺めていました。沿道のボランティアの方が近寄ってきてくれ
て「大丈夫か」と声をかけてくれました。僕は少しうなずいてから「止めます」と小さな声で告げ、
ゼッケンを外しました。こうして、僕の今年の挑戦は終わりました。
僕は、自分の呼吸を確認しながら、できるだけこのときの状況を記憶しておこうと思いました。
また、来年も来なくてはならないからです。それまでずっと記憶しておかなくてはならないから
です。そして、記憶を記録しておかなくてはなりません。
やがて、救護車にのせられて、僕は毛布に包まれました。お医者さんから、なんども大丈夫
かと声をかけていただきました。そのたびに僕はうつむいて頷きました。少し落ち着いてから、
車の外をみると、まだ必死に最後まで苦しみながらも走っている人たちの姿があります。僕も
どんなことがあっても走る覚悟はありました。そのつもりでした。そうすることで、次につながる
と考えているからです。車で運ばれている自分が信じられませんでした。
残り5キロの距離を車で進むとあっという間でした。救護車を降りるとすぐに「たばらそだち」で
お世話になっているしましまさんが駆けつけてくれました。しましまさんの顔をみると少しほっと
しましたが、まだ気分が悪かったので数歩あるいて地面に座らせてもらいました。しましまさん
どうでしたか?と聞くと3時間20分切ったとのこと。僕は嬉しくなって、気分が悪いのを忘れて
笑い転げてしまいました。3時間20分というのはすごい記録だからです。10分も記録を短縮
しているのです。あまりに笑いすぎてお腹のへんなところがつったほどでした。おかげで、し
ばらく座りこみ、うれしいおもいをさせてもらい、水分もわけてもらったので、大丈夫になって
きました。
帰りの新幹線はひとりだったわけですが、窓にうつった顔に涙がありました。もちろん完走で
きずに悔しいおもいや自分自身に残念な気持ちや体調管理の悪さや、いろいろあるわけです
が、言葉では表現できない感情があったようです。
僕はがんばったのです。それは自分がよく知っています。完走はできませんでしたが、最後
までがんばりました。しかし、そのことを自分自身に証明するためには、来年同じ大会でやる
しかありません。去年、あの日のがんばり、あの日のおもいがあったからこそ、今日この結果
がでたと、自分で自分自身に証明してみせます。