ちょっと自分の考えを整理したいことがあります。
ボランティア活動についてです。
いま、月曜日にフリースクールから10代の若者が
「元気が出る麻雀教室」に参加しています。
いつもメンバーが固定ではありませんが、だいたい
3〜4名でやってきます。
これは僕の願いでもあるのですが、
彼らは、ここに「他者と出会う」ために来ています。
その他者が自分と同じように価値ある存在であること
を深く納得し、自己の新たなあり方を目指そうとする
態度を身につけようとしています。
そして、彼らは「ボランティアをする」ために来ているので
はなく、「ボランティアである」ための態度あるいは身体性
の獲得のために来ています。
ある若者は阪神大震災の年に生まれたと言う。一方、元気
が出る麻雀教室の参加者には、関東大震災の3年前に生
まれたという人がいます。
まったく、時代背景の違う、自分の想像を超えた他者の発見
に「つまずき」や「ゆらぎ」や「とまどい」を感じながらも、その
他者の欲求に応える喜びを得て、さらなる他者への心配りを
考えることで、自分と他者が対等な関係を築くことができるの
だという自信を持ってほしいと思っています。
この世の中は「客観」と「主観」という二つの見方があり、麻雀
にあてはめるならば、あらかじめ決められたルールに基づき
勝ったり負けたりすることで変動する点棒の数が「客観」であり、
そこで繰り広げられるテーブルの周りに座った人間のそれぞ
れにある感情やらが「主観」であると理解しています。
世の中はすべて「客観」によって成り立っているのではなく、
そのことを理解したうえで、フッサールが言うように「現実世界
を知るためには主観から出発するしかない」のです。
彼らが、自分とは決定的に異なっている世界に生きている存在
でありながら、相手もまた同じ「人間」であるという気づきやある種
の驚きは、ゲームやインターネットでは得ることができない生々し
い体験として、これからを生きる自分自身のあり方への問いになれ
ば幸いと考えています。