元気が出る麻雀教室を立ち上げて10年が経ち、改めて東京物語を振り返ります。
元気が出る麻雀教室をはじめるにあたり、もっとも僕がイメージしたのが東京物語です。なんどもなんどもなんどもなんども観ました。終盤、父親である笠智衆が亡き次男の嫁である原節子に言うセリフがあります。ドラマはこのセリフに向かって進行してきたと言っても過言ではありません。そして、映画そのものがそうであるようにある種の予言的な意味を持ち、それ自体がメッセージになっていると理解します。
みょーなもんじゃ
自分が育てた子どもより
言わば他人のあんたの方が
よっぽどわしらにようしてくれた
いやあ、ありがとう。
もちろん、子どもの代わりは原節子にもあるいは僕にもできないわけですが、そう言わせた。なにがそう言わせたのかというと、とりたてて何かをしたわけではなくそこにいた、ことに。
そこにいる。すなわちそこに存在している。ことに対して息子を亡くし、妻を亡くした父親役の笠智衆は、ありがとうと言っています。
長生きは幸せなことですが、配偶者や子どもを先に亡くすこともあるでしょう。死を避けられない病気が進行することもあるでしょう。そんな時にただ、そこにいる。ことができたらと思います。